人の死、という事について、考えた事ありますか?
哲学的で、すみません。
私は看護師なので、世間よりは関わることは多いです。
なので、その度に考えることも多いですね。
今回の記事では、死の受け入れについて書きます。
大切な人を亡くした人に読んでもらえたらと思います。
妹の死
私には亡くなった3番目の妹 はるちゃん がいます。
はるちゃんは25歳という若さで亡くなりました。私が28歳の時でした。
妹の死による絶望と後悔をエネルギーに私は看護師になりました。
看護師になって10年過ぎたあたりの妹が亡くなって15年くらい経ってから、
ようやく妹の死を自然に話すことができるようになりました。。
とある出来事
最近、実母の死を看護場面として院内のナースたちの前で発表した
ウチの部署の若いナースAさんがいました…
Aさんは、母親の癌が見つかって、看護師ではなく、患者家族側となり、
『生きたい』という本人の思いと、
『できる限りの事をしてとにかく生きていて欲しい』と思う家族の思いが
書いてある内容でした。
発表当日、涙声になり、結局、読み進める事ができませんでした。
そばにいた私が最後まで代読しました。
内容を知っている私も涙を堪えるのに必死で、
何度も深呼吸しながら、なんとか最後まで読ませて頂きました。
その発表を見て、とあるお偉いナース。
『あの子はまだお母さんの死を受け入れてないんやな。あれはまだやで。』と、
残念そうというか受け入れていない事がダメなことのように言いました。
その言葉に個人的にスゴイ不快感がありました…
不快感というより、怒りに近い気持ちが湧きました。
そして、とても残念な気持ちになりました。
看護師なのに・・・・大切な人を亡くした経験がないのかな・・・と。
結論
大切な人の死を受け入れていない事は、間違った事でしょうか。
私は、受け入れなくていいと思います。
そもそも、人の死を受け入れる、てどういう事でしょうか?
受け入れる=気分良く心に存在させる?
違うと思います。
いろんなことを悔やんだり、考えたり、悲しんだり、怒ったり、
思い出を繰り返し噛み締めて・・・・
そうやって亡くなった大切な人の事を何度も思い出し、
忘れず、ずっと思ってあげたらいいと思います。
愛していた人、大切な人を亡くして、
思い出を簡単に忘れられるわけはありません。
忘れない事はいけないことですか?
大切な人を思い出して、悔やんだり悲しんだり・・・・
その方がずっと自然な事ではないでしょうか。
さいごに
普通の平常心で人に話せるようになったのはここ数年程です。
自分でもこんなに穏やかに人に話せる日が来るなんて、
想像すらできなかったです。
それを受け入れたというのかどうかは分かりませんが。
いつまでもクヨクヨして!と言われてもいいじゃないですか。
大切な人を存分に思い出してあげてください。
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